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Diary


小暑の日記
7月12日 明るくて、遠慮がない。夏の光みたいなひとに焦がれて、気づけば自分の輪郭が焦げ付いてしまった。じりじりと焼かれて、剥がれて、崩れて、羽はもう風に消えた。 7月13日 くたくた、という音が今の自分の身体にしっくりくる。つかれた、とか、ねむい、では表せないようなやわらかい疲労感に包まれている。 この薄衣をいい加減脱いでしまって身軽になりたい。もうとっくに脱ぎ方がわからない。鏡の前に立つのが怖い。あのころの私よ、どこかで、どこかへ、かろやかに駆けていてくれ。やわらかい心のまま。 7月14日 図書館へ行く。なんとなく火曜日は図書館へ行くことが多い。「昨日の休館日、会えなくてさみしかったよ」なんて、心の中で本たちにしっとりと話しかけてみる。まるで毎日会いに行っているようなせりふだが、全くそんなことはないし、先週は一度も来ていない。先々週に借りた子どもの絵本の返却期限が今日だったというだけのことだ。 足を運ぶ頻度はそれほど高くないとしても、図書館の本たちは穏やかな感じがしてすきだ。誰のものでもないという、そしてこれからも誰のものになることなく、この
7月31日


夏至の日記
7月2日 余計なことまでべらべらと話してしまったなあ、といつも通り、反省会をする。ひとりぼっちの反省会になんの意味もないことくらい、世の中の大半の人は気づいていて、もう川の向こうにいる。走り去っていく。そんなに急いで、そちらには何があるというんだい。ほら、こちらはドクダミの花がちいさく咲いていてかわいいよ。ちがうかい。 7月3日 五右衛門というパスタ屋さんにはじめて行った。息子にとってもはじめてだから、こんなふうに一緒にはじめてを共有できることがあるんだ、となんかむずがゆい気持ちになる。 子ども向けメニューには、息子が大好物のミートソースパスタがあり(もうひとつクリーム系もあった)、なんとそれは300円である。ありがたい。親子で鼻息を荒くしながら注文したのはいいものの、1歳児にミートソースパスタ、いわゆるトマトソース系のパスタを与えるというのは、親にとってはとても勇気、いや覚悟のいることだった。赤いしみを必死に落とそうとシンクに向かい合う未来の自分がじっとりとこちらを睨んでいる。しかも運悪くこの日の息子は淡いクリーム色の服を着ていて、気軽
7月16日


ハイポニキウム
午前中のうちに二箇所、爪が割れた。 右手の人差し指と、左手の親指。 左手の親指はとくに重症で、爪のピンク色の部分までじっとりと見えてしまっている。 へんな形に割れて服やら何やらに引っ掛かるのがどうにも気になり、無理矢理ひん剥いてしまったのが大きな原因だ。 帰って爪切りややすりでどうにか整えるまで我慢したらよかったのに、どうしてこういう惰性にまかせると、普段は持ち合わせていない思い切りの良さが、ふいに発揮されるのだろうか。 いらぬ潔さのせいで、深爪のさらにひどいもののような状態となってしまった親指は、何かものに当たったりするとつんと痛みがある。 こうなってしまった爪は、そっとしておくのがいちばんだ。 と、頭ではわかっている。 けれども、ピンク色の肉肉しい部分、普段は固い爪で守られていて本来は空気に晒されるべきでない、やわらかくて頼りないその場所が、よく目につく指先でこうして露わになっていると、とても気になる。そしてつい触ってしまう。 うう、痛い。 でも気になる・・・。 乾燥なのか栄養不足なのかわからないが、というかどちらにも心当たりがありすぎて、わ
4月24日


歯が痛い
歯が痛い。 歯が痛いと、「歯が痛い」ということしか考えられなくなる。 抜歯後の経過がよくなく、もう1週間も痛みとともに生活している。 痛み止めを飲むと痛みレベルが10→6くらいにはなるので、なんとか人間の形を保てている。 とはいえ、6だ。 痛いよ、ふつうにね。 さいわい、これまでの人生で骨折だのなんだのという外科手術を経験せずに生きてきた。 唯一「手術」と呼べるようなのは7年前、変な方向に生えた親知らずを抜歯したときくらい。 大がかりな治療になるとのことで、わざわざ遠くの大学病院を紹介してもらったのだった。 そうだった、あれも歯のやつじゃないか。 今回抜いた歯は変な生え方をしてるわけではないので、かかりつけの街の歯医者さんで対応してもらえたし、手術って程のことではなかったはず。 ・・・だったのだが、抜歯後かさぶたの形成が不十分なまま、雑菌が入り込んで悪さしているらしい。 引き続き病院にはお世話になっているが、神の一手は存在しないので、どうにか安静にしてやり過ごすしか今できることはないようだ。 とはいえこの長引く痛みについて、何と言ったらいいのかわ
4月17日


おまもりアイス
たいした進捗もないまま、また今日という日が終わろうとしている。 叶わぬ計画を立てては希望を見出し、自分に裏切られてがっかりするのをやめたいと思っている。それはもうずっと。 時間は残酷なまでに平等に流れ、そして聞くところによると有限らしい。 「ちょっと待った!」ができたらいいのに、といつも思う。 早送りじゃなくていいから、ちょっとした一時停止ボタンくらい用意しておいてほしい。 わたしみたいな優柔不断で、くさくさしがちな人間にはね、ゆっくり腰を据えて、ふかーく考え込みたい時があるんですよ。 全世界をあまねく停止するまでいかなくとも、わたしひとり、ちょっと立ち止まってもどうか許されたいと願う日々である。 まあでも、もしそんなボタンがあったなら押しまくって、時間を止めまくって、わたしだけ年をとらないでいるのではなかろうか。 周りのみんなが刻んでいく時間に、わたしはいなくて。 そのほうが残酷かもしれないね。 さて、どうにもならない過ぎゆく時間に悩み続けるなんて、それこそ時間がもったいない話ではないか。 いらんことをぐるぐる考えてしまうのは、仕事に追われてい
1月9日
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