夏至の日記
- 4 日前
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7月2日
余計なことまでべらべらと話してしまったなあ、といつも通り、反省会をする。ひとりぼっちの反省会になんの意味もないことくらい、世の中の大半の人は気づいていて、もう川の向こうにいる。走り去っていく。そんなに急いで、そちらには何があるというんだい。ほら、こちらはドクダミの花がちいさく咲いていてかわいいよ。ちがうかい。
7月3日
五右衛門というパスタ屋さんにはじめて行った。息子にとってもはじめてだから、こんなふうに一緒にはじめてを共有できることがあるんだ、となんかむずがゆい気持ちになる。
子ども向けメニューには、息子が大好物のミートソースパスタがあり(もうひとつクリーム系もあった)、なんとそれは300円である。ありがたい。親子で鼻息を荒くしながら注文したのはいいものの、1歳児にミートソースパスタ、いわゆるトマトソース系のパスタを与えるというのは、親にとってはとても勇気、いや覚悟のいることだった。赤いしみを必死に落とそうとシンクに向かい合う未来の自分がじっとりとこちらを睨んでいる。しかも運悪くこの日の息子は淡いクリーム色の服を着ていて、気軽な外出のつもりだったので防御力の低いスタイしか持ってきていない。
店員さんが息子の前にパスタ皿を置く。赤いソースにかわいい手が届いてしまう前に距離を取りたかったが空腹の1歳児の動きは素早く間に合わない。迷うことなく手が伸び真っ赤な麺をわしづかみにする。せめてフォークで食べ「ちょっと待って!」聞くわけがない。ましてや彼は「なんでも自分でやりたい期」のため、もうあなたの手助けは不要、とばかりに食べ進める。手や口の周りだけにとどまらず、気づいたときにはおでこやふくらはぎ(なんで?)、私の肘にも赤いソースが飛んでいる。冷房が効いた店内で汗だくになりながら食べこぼしを拭き続け、合間を見て自分のパスタを口に押し込む。デザートを運んできてくれた店員さんが子どもの顔を見て「すごいねえ、かわいく食べてるねえ」と言う。ありがとうございます、でもそれはストレートに受け取ってもいい言葉ですか。
無事に食べ終わり、「おいしかった?」と聞くと、満面の笑みでぽんぽん、と自分のまあるいお腹を叩いてみせる子ども。この笑顔のためなら何度だって赤いしみと格闘できそうだ。
ところで私は、なんのパスタを食べましたか?
29歳と1歳、はじめての五右衛門パスタ記念日である。
7月4日
絵本に頻出する、動物のぞうを「どう、どうしゃん」と呼ぶ子どもがあまりにもかわいく目を輝かせるので、動物園に来た。向かう車の中でアンパンマンの「サンサンたいそう」ただその一曲を永遠にリピートすることとなり、私はもうこのあかるくたのしいたいそうのしあわせなせかいにとじこめられてしまうのだと____
お目当てのぞうへの反応はいまいちで、絵本を読んだときのきらきらおめめには会えず。泣いて恐れるでもなく、しずかに戸惑いの感情と戦っているようだった。まあそうだよな。目の前にした時の圧倒的な迫力、それを味わってくれたならうれしい。大きくて強そうで、とびきりやさしい目をしてるよね、どうしゃん。
7月5日
やさしいしあわせが続いて降り注ぐものだから、なんとなくいい気になって、足元が見えなくなっていたのかもしれない。スキップするにしたって、ダンスを踊るにしたって、足元の安全はいつだって確かめておかなければならない。
7月6日 人生においてかなり大きな契約をした。目が回るくらい判子を押して、目を回しながらサインをした。自分の名前ってこんな漢字だったっけ。考えごとをしながらでも書けるから不思議だ。 夜になっても期待と不安で心がずっとふわふわしている。ねむれないので、心という漢字を紙に書いてみると、どの画にも正しい位置が見つからず、浮かんでいて安定感がない。ふーっと吹いたらどこかへ飛んで行ってしまいそうだ。とくに右上のふたり!またふらふらして!いつも叱っているのは左のあの子か?一画目の責任感てやつかな。えらいな。「地に足をつけて歩いて行ってほしい」そんな思いが込められているらしい、自分の名前の漢字を思い出していたたまれなくなった。私のつま先は今どこを向いているのだろう。
末候 半夏生ず
